人口は約34万5990人。
主に貴州省三都シュイ族自治県に集中して住んでおり、その他は近くの茘波、独山、都堰A榕江、従江などの県および広西チワン族自治区の融安、南丹、環江、河池などの県に分布している。
漢・チベット語系、チワン・トン語派、トン・シュイ語分支に属するシュイ語を使っている。陽安、潘洞、三洞の3種の方言がある。
昔は1種の古い文字を使っていた。シュイ書と呼ばれ、約300字余りからなり、少数の祈祷師だけが読むことができ、宗教迷信活動に使われていた。シュイ族の人たちは日常生活では漢語を使っている。
シュイ族の人たちは昔は多くの神と万物に魂があるとする原始宗教を信仰していた。カトリック教が清代末期に伝えられたが、信仰する人は少なかった。
「鳳凰の羽根のように美しい」と言われている月亮山のふもとに集中して居住しているシュイ族の人たちは、古代の「駱越」という支系をルーツとする。明代の史書の中にシュイ族の称呼が見られる。シュイ族の人たちは自分たちのことを「海水」と称し、「水の中の人」の意味である。清朝が直接シュイ族地区を統治した後、漢民族の人たちがたえず竜江と都柳江の上流地域に移住してき、シュイ族の人たちとともに暮らすようになったため、シュイ族地区の経済、文化は急速な発展を遂げた。新中国成立後、シュイ族の人たちの生活は大きく改善され、とりわけ文化・教育・医療・衛生事業の発展によってシュイ族地区の立ち遅れた様相は徹底的に変わり、かつて発病率が80%にも上ったマラリアも抑制された。1957年に三都シュイ族自治県が設立され、国の援助の下で、勤勉なシュイ族の人たちは各民族の人たちとともに故郷を都柳江のほとりの水産物や米、果物がよくとれる豊かなところに築き上げた。
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