人口は約12万1500人。
ダフール族は主に内蒙古自治区モリダワ・ダフール族自治旗と近くの旗県、黒竜江省チチハル市郊外地区と近くの県に集中しており、少数の人たちが新疆ウイグル自治区ターチョン県に居住している。
ダフール族の人びとはダフール語を使用し、ダフール語はアルタイ語系、蒙古語派に属し、ブトハ(布特哈)とチチハルの2つの方言がある。ダフール族の言葉は語彙が豊かで、漁業・牧畜・狩猟、農耕を表すものが多く、その中には漢語、満州族語、オウンク語から吸収した語彙もある。
ダフール族には自民族の文字がなく、主に漢語を使用し、少数の人たちは満州族語、蒙古語、カザフ語に通じている。
ダフール族はシャーマニズムを信仰し、シャーマニズムは自然崇拝、トーテム崇拝、祖先崇拝を含めた原始宗教であり、少数の人たちはラマ教を信仰している。
ダフール族は中国の北部地区の悠久な歴史と農耕文化を持つ民族である。ダフールは「耕すもの」の意味で、ダフール族の人たちは自分のことをこう呼んでおり、元代の末明代の初めに現れた呼称である。清代の康煕初年頃に、「打虎児」の訳名が現れ、後に「達胡爾」、「達虎里」、「達呼爾」と訳されるようになった。新中国成立後、この民族の人たちの願いによって、統一してダフールと定められた。研究によると、ダフール族は遼国スキタイ族の子孫だということである。清代において、ダフール族は八旗制度(旧時、満州の戸籍制)に編入され、辺境の要衝を守るため徴用され、新疆へ出征したことさえある。そのため東北地区のほか新疆のターチョンにもまだ数千人のダフール族の人がいる。中国の歴史の中で、ダフール族の人たちは他の民族の人々とともに中国の北部辺境地帯の開発に努め、祖国の領土を守り、帝制ロシアの侵入に抵抗するうえで不朽の業績がある。ダフール族の人たちはホッケーが好きで、モリダワダオール族自治旗は「ホッケーの里」とたたえられている。
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